『荘川桜』のお話し

雲雀丘花屋敷は昔から桜の名所で、元々自生していたものや大正期からの住宅地開発時に街路樹として植樹されたものなどがあり、春になると山全体が桜の花で白く輝いていたと云われています。
また、コミュニティ内には多くの『荘川桜』が植えられています。代表的なものは高碕記念館の2本ですが、その他に2003年(平成15)に27本、2016(平成28)年に51本が植樹されました。

2003年の植樹は、雲雀丘山手緑化推進委員会の桜並木復活プロジェクトによるもので、2か所の桜並木の新設と既設の桜並木の捕植が行われました。苗木は、岐阜県荘川村御母衣(みぼろ)ダム湖畔に移植されたアズマヒガンの巨桜の実生から育てた二世桜です。
2016年の植樹は、当コミュニティが主催した雲雀丘花屋敷住宅地開発100年記念事業の桜復活植樹活動によるものです。苗木は、その趣旨に賛同された東洋食品研究所(高碕達之助氏設立)が育成されていたものを寄贈されました。

荘川村と雲雀丘をつないだのは、高碕達之助翁の偉業です。荘川村は1960年(昭和35)、電源開発公社の御母衣ダム建設により湖底に沈む運命にありました。電源開発公社初代総裁の高碕さんが現地を訪れた際に、村のお寺にあった樹齢400余年の巨桜2本を「ふるさとの人々の心のよすがに」との思いから、桜博士の笹部新太郎氏に移植を依頼し、関係者の協力により植樹史上例をみない大移動を行い、奇跡の活着を果たしました。その名は後年、荘川村に因んで命名されました。この物語は、水上勉の小説「櫻守」に取り上げられました。

この地域の自然環境と景観は、私たちの大きな財産です。この魅力的な街並みを維持し次の世代に残していくことが、今このまちに住まう我々の役割と考えます。

↓高碕記念館(写真左)、雲雀丘山手(写真中央、2003年植樹)、雲雀丘花屋敷駅前(写真右、2016年植樹)の荘川桜